
七夕が生まれたのはどこの地域?と聞かれてはっきりと答えらえる人はきっと少ないでしょう。
「そもそも発祥に興味がなかった」という方も多いかもしれませんが、一度気になってしまうとはっきりさせたくなりますよね。
今回は、七夕発祥の地は本当はどこなの?発祥の地と言われている中国、大阪、仙台、それぞれの七夕祭りについてをまとめてみました!
七夕発祥の地は中国?
まず、七夕という行事はそもそも日本ではなく中国からきているという説をご紹介します。
七夕といえば、かの有名な織姫・彦星伝説を思い浮かべる人がほとんどでしょうが、これは中国における七夕の伝説です。
元々日本で行われていた七夕にはこのようなお話はなく、ひたすら一年の豊作を願うという行事でした。
それが平安時代ごろに中国の七夕伝説が伝来し、平安貴族たちが日本と中国の七夕を融合させたような宴を始めたといわれています。
このことから、「織姫・彦星伝説からくる七夕は中国が発祥」と言えるようですね。
つまり現代に伝わる七夕は、この中国伝来の伝説と日本古来の行事が融合したものであり、織姫・彦星伝説自体は中国由来となります。
七夕発祥の地は大阪?
大阪は七夕発祥の地と言われ、平安時代に「交野が原」と呼ばれていた枚方市、交野市には七夕伝説が残されています。
交野市に流れる天野川周辺は、平安時代貴族たちの狩猟の場としてにぎわい、天野川は肥沃な土地を産む豊穣の川と言われていました。
さらに交野市には織姫にちなんだ神社である「機物【はたもの】神社」があり、天野川を挟んだ向こう側には「牽牛石」があります。
つまり、天野川を挟んで織姫と彦星がそこにいるかのように、大昔の人々がその土地で七夕伝説を表現しているんですね。
また、「交野が原」周辺には星をちなんだ地名が多いことからも、七夕祭りの発祥の地は大阪であるといわれているというわけです。
平安時代に貴族たちが「交野が原」で詠んだ歌も多数残されており、中国の伝説が伝来してから日本独自で進化した七夕伝説発祥の土地は大阪と言えそうですね。
仙台と七夕との関係とは?
では仙台で行われている仙台七夕と、七夕伝説はどのような関係があるのでしょうか?
仙台の七夕祭りは平安時代よりずっと後、伊達政宗が仙台当主となったころに始まり、江戸時代に盛んになったといわれています。
仙台七夕は7月6日に五色の短冊に学業成就や技術向上の願い事を記し、7月7日にお祭りを、7月8日の朝にそれを川に流すというしきたりがあります。
しかし、現代のような全国に知れ渡る仙台七夕の原型ができたのは、昭和に入ってからです。
昭和2年、それまでの不景気を何とか吹き飛ばし、気分だけでも盛り上げていこう!と仙台の商家たちが一念発起し、華やかな七夕飾りが復活。
その飾り見たさに人々が集まるようになり現代の仙台七夕へとつながりました。
しかし大戦の世の中では七夕祭りを行うことは難しく、それでも世界大戦終戦の翌年には小規模でもありながら七夕まつりは再び行われます。
そこからは高度経済成長に伴い年々お祭りは華やかになり、現代のようにとても賑やかな仙台七夕となったのです。
つまり、仙台七夕はその本流に大元の七夕まつりがあるものの、仙台で独自の進化を遂げたものといえますね。
七夕発祥の地、ではなく独自の七夕祭りを行っている土地が仙台ということです。
まとめ
七夕まつりは日本や中国だけではなく、アジア諸国に伝わるもののようです。
色とりどりの鮮やかな飾りが華やかに飾られる七夕は、確かに日本というよりも中国古来の絵画から垣間見えるような色彩感覚に近いので、中国から伝わったというのは納得できる話ですね。
今年の七夕はロマンチックさだけではなく、うんちくポイントも携えて楽しいお祭りになるといいですね!